【1-1】朝の連続派遣小説『へばりつく』

【1】

「まったくなんだってこんな探偵まがいのことをしなきゃいけないんだ」

まだ暑い盛りの九月上旬、土地勘のない私鉄の駅に降り立ち、誰に対して言うわけでもなく小声で呟いた。じっとりとした汗が体中を覆い、背中に肌着がぺったりと張り付く。

夕暮れの商店街は活気に溢れていた。競合となる大型スーパーがないからなのか、一昔前の下町の商店街のように肉屋や惣菜屋といった小ぶりな店が軒を連ねているのは、郊外で生まれ育った私からするとむしろ新鮮に感じられる。

店名の書かれたオレンジ色の軒先テントが夕焼けを反射して目に眩しい。もう時刻は18時過ぎ。人々の足は駅ではなく帰路に向かい、晩ご飯の買い出しを終えた近所の主婦や習い事を終えたらしい小学生の一団が次々と私の横を通り過ぎて行く。

私はスマートフォンの地図アプリを開きながら、電柱に寄りかかるようにして住所を入力し、今向かおうとしている方向が合っているのか、画面の地図と風景を見合わせていた。

「駅を背にするとなるとこっちかな・・・」

営業マンのクセに致命的な方向音痴で、馴染みのない土地の個人宅までたどり着くのは私にとって至難の技だ。歩みを進めるごとに徐々に薄暗くなり街灯が灯り始めた。なんとか陽が落ちるまでには探し当てなければ。暑さで滲み出る汗をそのままに歩き続ける。

徐々に商店が少なくなり低層マンションやアパートが目立ちはじめる。東京の下町らしく二叉路や三叉路は当たり前で、至る所に路地が張り巡らされている。

地図アプリの示す進行方向の矢印を頼りに路地に分け入ると、もとは違う色だったのであろう煮しめたような色のエプロンを腰に巻いた老婆が道の端にずらっと並べたプランターに水をやっている。これだけ路地にはみ出して無数に並べてあると人も通りづらいだろうに、家の目の前であれば自分の陣地だとでも思っているのだろうか。

私を品定めするようにジロジロと見定め、今にも文句でも言ってきそうな様子だ。こんな時間に路地裏まで入ってくるスーツ姿の男性となれば何か怪しいものを売りつけにきた営業マンとでも思っているのだろう。営業マンであることだけは確かなのだが。

「あ、あの・・・この辺りにジーニアスっていうアパートはありますか?」老婆の怪しむ視線に耐えきれず、こちらから話しかける。

「さあ、この辺は新しいアパートやマンションがどんどんできるからねえ」老婆は愛想なく答え、舐め回すように見ていた私に興味をなくしたのか、目の前の自宅の引き戸を開け、さっさと中に入ってしまった。

辺りも随分暗くなった。目的のアパートはすぐ近くのはずなのだが、入り組んだ地形でなかなかそれらしき建物が見つけられない。街頭の明かりも届かない見知らぬ住宅地の路地裏で一人、いよいよ心細くなった私は電話をかけた。

「もしもし?いま松田さんの家の近くまで着いたんだけどさ、結構入り組んでる場所でなかなか見つからないんだよね・・・近所の婆さんには変な目で見られるし・・・」

ただ愚痴を聞いてもらいたかっただけだったのだが、営業事務の女性は「いまGoogleストリートビューで見てるんですけど、右っ側に赤い外壁の建物ありません?その裏手みたいですよ?」と気を利かせて調べてくれた。

「あぁこの裏か、この一戸建ての裏にアパートがあるんだね。珍しいなこんな立地。ありがとう、行ってみるよ」

松田が連絡なく職場に現れなくなったのは一週間前。それから毎日のように電話をしたり、メールをしたり、「至急連絡が欲しい」と手紙を出したり。色々と手を尽くしたが全く連絡が取れず、安否確認のためにもなんとか時間を作って今日こうしてここにいる。やっとジーニアスというアパートの看板を見つけた。

築三十年くらいだろうか。オンボロとまでは言わないが、手入れが良くないのか、どうにも貧乏くさいアパートだ。気紛れについたり消えたりする蛍光灯の灯りに誘われるように大きな蛾が羽をばたつかせている。

薄暗い通路を奥に奥に進むと目的の105号室にたどり着いた。古い建物独特のすえた臭いと、下町ならではの猫よけ薬の匂いが鼻をつく。足元にはカラカラに干からびた朝顔の鉢植えが壁に寄りかかり、辛うじて倒れずにバランスを保っている。

何度やっても自宅にまで押しかけるのは少し緊張する。相手は若い男性だし、一週間も音信不通だったとはいえ、急に押しかけてきた私に逆上してきてもおかしくない。

クリーム色をした安普請の玄関ドアの上部は曇りガラスになっていて、中の様子が窺い知れる。灯りはついていないようだ。

まずは松田の携帯に電話をしてみる。これで部屋の中から着信音やバイブ音が聞こえれば彼は部屋にいるということになる。トゥルルル・・・十回ほどコールを繰り返すが部屋の中からは物音はしない。やはり不在なのだろう。

ここでいつまでも待っていても仕方ないし、隣近所に「不審者がいる」と通報されてもつまらない。念のため呼び鈴を数回押し、少々上ずった声で「松田さーん、いますかぁ?」と玄関ドア越しに呼びかけてみる。

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