【13-2】朝の連続派遣小説『へばりつく』

「なんでそうなるんですか!」

思いもよらない大きな声に部屋中が振動したような錯覚を覚える。永岡もひどく驚いたようで言葉もなく目をしばたいている。私の横にある会議室のドアのスリットガラスごしに何事だと様子を窺う同僚の姿が見えた。

「・・・ちょっ、ちょっと落ち着いてください清水さん。急に大きな声を出されるとびっくりしますよ」永岡はなんとか場をつなごうと声を絞り出した。

清水敦子は深くうつむいてしまいその表情を探ることはできない。両手を踏ん張るようにピンと伸ばし、爆発しそうな感情を晴らすように膝の上に手のひらをグリグリと押しあてている。

さてどうしたものか。弱々しくおとなしい印象しかない彼女の思わぬ感情の起伏の激しさに、永岡もすぐに言葉が出てこない様子だ。

おそらく私が助け舟を出した方がいいのだろうが、それでは永岡が外野に回ってしまい今日の打ち合わせの目的が果たせなくなってしまう。それにこの局面で永岡がどう巻き返すのかも見てみたい。成功すればよし、失敗したところで彼が醜態を晒すだけのことだ。

「清水さん、少し冷静にお話をしましょうか・・・」永岡が改めて話を仕切り直そうとしたところで、清水敦子は身を乗り出して言うのだった。

「私は冷静です!あなたこそなんなんですか、さっきからずっと私をジロジロといやらしい目で見て!そんな方と話したくないです!」

あまりの驚きのためか、永岡は口をぽかんと開けて二の句が告げない様子だ。

それにしても本当にそんな目で彼女を見ていたのだろうか。この局面で彼女がなんの根拠もなしにそんな指摘をするとも思えない。

「いえいえ、そんなことはありませんよ。なにをおっしゃるんですか」永岡はひどく慌てた様子で否定する。

「さっきからずっと私の胸のあたりを見ていました。それに会議室に案内してくださったときだって、からだ中を舐め回すように見ていましたし」

永岡は顔を真っ赤にして汗を吹き出している。それはそうだろう、彼女の言い分が本当かどうかわからないが、部下の前でそのような指摘をされて冷静でいられる人間などいるはずもない。

「ご、誤解です。そのような不快な思いをさせてしまったのであればお詫びしますが」息も絶え絶えといった様子でなんとか返答する。もうこの辺りが限界だろう。女性にセクハラという材料を与えてしまった時点で鬼に金棒のようなものだ。

「清水さん、いろいろと誤解からのご不快な思いはあったかと思うんですが、それくらいにしませんか」

結論を言い渡すように、できるだけ落ち着いた口調で話す。彼女は少し表情を変えて私の方に体ごと目線を移した。

「受け止めの問題なのでなんとも言えませんが、私が横で同席をさせて頂いている限り、永岡が清水さんをご不快にさせるような視線を送っていたとは思えませんでした。あと言い方が正しいかわかりませんが、私がお願いして上司に同席してもらっているんです。もう少し敬意を払って頂けるとありがたいです」

彼女は少し不満そうな顔をしたあとに「わかりました」と呟く。

「今日はもっと違うことをお話ししたかったんですが、この状況では建設的な話は難しいと思いますので、仕切り直しにしませんか?部長もそれでよろしいですか?」

渡りに船と感じたのか、永岡は一も二もなく「そうしましょう」と返事をする。

「清水さん、いろいろと誤解からご不快な思いをさせてしまったようで申し訳ありませんでした。田中とも話して、また改めてお話し合いの機会を設けさせてください」

永岡の言葉に返事をせず、彼女はバックにメモ帳をしまい身支度を整え始めた。

私は永岡に「ちょっと下までお送りしてきます」と伝え、彼女を連れ出す。先ほどの大声と、思いの外早く終わったらしい打ち合わせに、同僚たちは怪訝そうな目線を向ける。

それにしても思いもよらぬ展開になってしまった。真偽はわからないが、彼女の指摘によって永岡はセクハラの汚名を着せられ、彼女に対してなんら交渉力を持たなくなってしまった。もしこれが作戦ならば大したものだ。

「あの、先ほどはすみませんでした。田中さんの上司に失礼なことを言って。でも本当にジロジロといやらしい目で見てたんです。田中さんの目の前でそんなことをされるのが本当に許せなくて」

エレベーターが待つ間、沈黙に耐えられなくなったのか清水敦子が口を開いた。

「そうですか・・・私にはなんとも言えませんが、清水さんがそう思われたならそうなのかもしれませんね」

「このあと永岡と少し話そうと思うんですが、彼は私の上司なので担当の割り振りに限らず、私は彼の指示に従うしかないんですよ」

このままでは永岡はこの問題の蚊帳の外に置かれてしまう。なんとか彼を引き戻さなければ。私は彼女に意味深な言葉を投げかけた。

「それはどういう意味でしょうか」不安そうな表情の彼女にゆっくりと噛んで含めるように説明をする。

「清水さんのお気持ちもあるでしょうが、もう一度永岡含めてきちんと話し合う機会を設けたほうがいいと言うことです。清水さんは私に担当を続けて欲しいとおっしゃいますが、何度も申し上げている通り、私が勝手に担当の割り振りを決められないので。今日のようなことがあって永岡と物別れのままに終わってしまっていいのだろうかと思っています」

私にとっては賭けとなる発言だ。彼女からのストーカー行為が深刻化しかねない。

彼女からすれば「あなたの担当を続けたいがそれを決めるのは上司である永岡で、その永岡をセクハラ呼ばわりしたままではそれも危うい」という意味合いになるからだ。だがそれによって永岡を二人の関係を引き裂く悪役のように仕立て上げることができる。

「・・・わかりました。もう一度永岡さんと話します」

私の狙い通りに伝わったかの確信は持てなかったが、とりあえず再度永岡含めた打ち合わせの機会には応じるようだ。

彼女を送りだしオフィスへ歩を進める。次は永岡だ。日々の営業で鍛えた二枚舌で、この難局を乗り切ってやろう。

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