【15】朝の連続派遣小説『へばりつく』

【15】

《昨日、また清水さん来たんですってね?なんかすごい大きい声が聞こえたってみんな言ってました。あと部長が青い顔して出てきたって。大丈夫でした?》

木村からメッセージが届いた。昨晩はオフィスにいなかったから同僚から様子を聞いて連絡をよこしてきたのだろう。

派遣業界はとにかくクレームやトラブルが多い。職場は人と人との関わり合いの中で作られている以上、揉め事は避けて通れるものではないが、派遣という仕組みは雇用関係と仕事の指揮命令関係が違うという特殊さもあって、とにかく揉め事が発生しやすいのだ。

それぞれの営業マンは大なり小なり常に何件かのクレームやトラブルを抱えていて、その対応に振り回されている。非日常が日常のような感覚で、お互いに愚痴を言い合ってストレス解消をしないとやっていけないのだ。

《昨日はすごかった・・・永岡さんも彼女のヤバさを心に刻み込んだんじゃないかな。まだ対応は継続中、先が見えない・・・》木村に当たり障りないメールを返す。

それにしても昨晩の永岡は無様だった。なにを好き好んで彼女をいやらしい目で見たりしたのか。私へのストーカー行為をやめさせるという打ち合わせだったのに、逆にセクハラを指摘されたのでは話にならない。

さすがに木村にもこの件は話せない。あいつも噂好きなところがあるし、情報の出元は私以外にいないからだ。

思い返してみれば永岡は着任当初の木村にもセクハラめいた言動を繰り返していた。彼女が永岡を毛嫌いするのも、それが原因だろう。

毎日のように会議室に呼び出し、密室に二人きりで「研修」と称してなにやらレクチャーしていた。木村によるとわざわざ隣に座り、密着して来るのだそうだ。「あのおじさん、ほんとセクハラです。気持ち悪いし、臭い」と文句を言っていた。ちょうど彼が他の仕事で忙しくなったこともあり「彼女は私が面倒をみます」と立候補して育成を巻き取り、木村をできるだけ永岡にかかわらせないようにしたことで一見落着したという経緯がある。

東池袋駅で電車を降り、地上へと階段を上る。遠方から買い物や遊び目的で押し寄せた人々で賑わうJR池袋駅周辺と違い、東池袋駅周辺は多少落ち着いた雰囲気だ。

オフィスビルや商業施設と住宅地の境目のような立地のためか、勤め先に向かうサラリーマンと日常の買い物でスーパーに向かう電動自転車に乗った主婦が入り混じって行き交う。

このあとサイオン社の長村課長との打ち合わせを予定しているが、さて、どういう作戦で行こうか。通りがかった公園のベンチに腰掛け思案する。昨晩の清水敦子の様子を見るに体調は悪そうだし、言動もおかしい。職場での働きぶりにもなんらか影響があると見るのが妥当だろう。

ただ、こちらから弱みを見せるような話をすれば「そんなに体調や精神面に心配がある人なら契約は更新できない」と言われかねない。ストーカー被害を受けているとはいえ彼女にも生活がある。私からわざわざ彼女に不利になる情報をペラペラと話すわけにはいかないのだ。となれば、向こうの様子を見ながら探り探り会話を進めていくしかないだろう。

連日のように通っているサイオン社。警備員とも顔なじみになり軽く挨拶を交わす。長村が降りてきた。いつも必ず誰かを伴ってくるが今日は一人のようだ。

「すみません、わざわざお越し頂いて」長村から声をかけてくる。

私からみれば長村は紳士的な担当者だが、何人かいるうちの派遣社員から聞くと、職場ではずいぶんな暴君らしい。確かに目が笑っていないというか油断ならないところはあるが、大企業に勤める課長ともなれば、それなりの処世術がなければ生きていけないのだろう。

「先日は清水の件でいろいろとご配慮を頂きましてありがとうございました。新しいチームに異動をさせて頂いてから彼女の働きぶりにどんなご評価を頂いているのか気になってお伺いしました」

訪問の主旨を伝え、長村の答えを促す。

「まだあまり仕事に慣れていないように見えますけど、全く違うことをやっている訳ではないから時間と共に解決するでしょう。これまで通り勤怠もいいし、特に問題ないと思いますよ」

ここのコールセンターのように数百名といった大規模なセンターでは全体を管理する事務局が一人一人の派遣社員の評価を正確に行うことは難しい。

そのため評価は、出勤率が何%以上かどうかというような勤怠状況や、応答率、電話をかけてきたお客からのクレームの数など定量的なデータを元に行われ、気になる数字がでたオペレーターの通話記録やシステムに投入された応対記録をチェックするというかたちで評価が行われるのだ。

つまり元々勤怠が良く、無難な応対ができる彼女であれば極端に悪目立ちをすることはないということ。ここは先方からの評価にのっかってやり過ごしてしまおう。

「そうですか、安心いたしました。ご無理を申し上げての異動でしたので、これで新しいチームで上手くいかないというのでは格好がつかないと心配してしまいました」

「それはお気遣いを頂いてすみません。清水さんご本人は今の職場のことをどうおっしゃってるんですか?」長村は愛想笑いをしながら問いかけてくる。

「えぇ。前の職場のようなことはないそうですから、安心してお仕事をさせて頂いてるようです。ただ、ついこないだ本人と面談したんですが、あまり顔色が良くないように感じました。理由を聞いたら少し寝不足でと言っていたので、健康管理には気をつけるように話をしたところです」

私へのストーカー行為の話などできるはずもない。ただ、先々の勤怠悪化の懸念があるから頭出しだけはしておいたほうがいいだろう。コールセンターはとにかく勤怠にうるさいのだ。

「ほう、体調が悪そうですか。なにかご病気でも?」一気に真顔に戻った長村は粘りつくような口調で質問してくる。

「それが質問をしても少し話辛そうに答えるものですから、おそらく婦人科系のことだと思います。気になるのは勤怠への影響ですが、通院含めてシフトに穴を開けないようにすると言っていました」

こんなときにはいつもの逃口上だ。こう言えば男性の担当者はたいてい深追いしてこない。

彼らは派遣社員を「数」としてしか見ていない。実際ある担当者に「田中さん、気分悪いかもしれないけど、我々にとって派遣ってのは人じゃなくて数なんだよ」と面と向かって言われたことがある。

我々営業マンにとってもそういった割り切りはないわけではないが、お客に面と向かって言われると腹が立つものだ。しかし彼らとて好きでそう言っているわけではないだろう。日々の運営の中でそれだけ厳しい状況に直面しているということだ。

それ以来、彼らのような大人数の派遣社員で職場を回す立場の人間と対峙する場面では、いま彼らが個々の派遣社員の事情を踏まえて問題解決をしようとしているのか、それとも全体の運営にかかわる数の部分を問題にしているのかを嗅ぎ分けながら注意深く対応をするようにしている。

清水敦子の件については長村の中では「終わった話」であり、それ以上の興味はないようだった。いくつか問題を抱える派遣社員の対応で認識合わせをし、無難に商談を終えた。

とりあえず彼女は職場では上手くやっていることがわかった。となれば、しばらくは私へのストーカー行為への対応に集中することができるということだ。

次の話→