【19】朝の連続派遣小説『へばりつく』

【19】

「それで、なんでこんなことになったんだ」

語調の荒い問いかけに体が縮こまる。こうしている間にも清水敦子はウチの会社の至るところに電話をかけ続けているようだ。

役員の杉浦から電話があったのは午前11時を過ぎ。昨晩は家に帰ってからもメール処理が終わらず、床に着いたのは深夜2時くらい。週末くらいは惰眠を貪ろうと、二度寝の最中の着信だった。

寝ぼけ眼で見た携帯画面の「杉浦常務」という表示に一気に目が覚めるが、「杉浦だけど、いったいどうなっているんだ?」という問いかけに、夢の中の出来事か現実か判断できずにいた。

「君の営業部の派遣社員が、君からセクハラされたって全国の支店に電話しまくっているようだぞ。本当なのか?」

ようやく脳みそが起動し始め、おぼろげに事態を把握し始める。昨晩、また田中目当てに急にオフィスに押しかけた清水敦子が、満足に田中と話ができなかった腹いせにウチの会社の至るところに苦情の電話をしているということか。田中には好意があるものだから悪くいうことはできず、私へのセクハラの訴えということになっているのかもしれない。

「も、申し訳ありません。まだ状況が把握できていませんで。このあとすぐ状況把握をした上でご報告をさせて頂きます」なんとか台詞を絞り出すが、杉浦は簡単には許してくれない。

「君なぁ、部長職が派遣社員からセクハラでクレームを受けるなんて前代未聞だぞ」

「も、申し訳ないです。ただ、事実無根のことでして」

「何を甘っちょろいことを言っているんだ。事実かどうかなんて問題じゃないんだよ。そういった訴えが全国に知れ渡ってしまっているってことが問題なんだよ。わからないのか?」

「はい!おっしゃる通りです。申し訳ありません」

これまで上に対しては決してNOと言わないこと、従順さだけを売りに部長にまで出世した。係長くらいまでは仕事の実力だけで出世できる。だが、それ以上となれば実力よりも、いかに流れに乗るかということなのだ。

決して上司を上回ってはいけない。誰だって自分より実力がある人間を警戒する。寝首をかかれやしないかとビクビクする。上からは少しヌケて見えるくらいでいいのだ。そのためにはいつも上司に対してはニコニコと、絶対服従の姿勢を崩さないことだ。社会に出てから三十年近く経つが、それだけは徹底してやってきた。

今だって寝室のベットの上に正座をして、ピンと背筋を伸ばし、子供たちが何事かと様子を見に来るくらいの大きな声で、心から申し訳なさそうに返事をしながら壁に向かってヘコヘコと頭を下げている。妻も息子たちもそんな私を軽蔑しているのは知っている。だが、お前らはそうやって稼いできた金で生活しているんだ。そうやって心身共に上司に尽くす姿勢を見せれば、出世もできるし、何かあったときにも、なんだかんだで助けてもらえるのだ。

「それで、なんでこんなことになったんだ」

電話越しにも、おでこを床に擦り付けながら謝るような必死さが伝わったのか、杉浦は気を取り直したように問いかけてくる。

清水敦子による田中へのストーカー行為、その対策として自分も含めた面談の中で私がセクハラをしたという彼女の一方的な誤解、昨晩急にオフィスに現れた彼女を追い返したことへの腹いせとしての今回のトラブル。順を追って都合よく報告をしていく。

「結局、初期対応で失敗しているということじゃないか。早い段階で田中君をその清水さんという派遣社員から引き離していれば、これほど大きな問題にはならなかったんじゃないか?」

「おっしゃる通りです。申し訳ありません。田中君はこの件から外した上で、法務部と相談して対応を進めるように致します」

これで道筋は示された。あとは彼の意に沿うように対応をして行けばいい。

「あぁ、そうしてくれ。それとな、永岡君。さっき専務から電話があって、この件は君が最後まで責任を持って対応するようにと言われたよ。役員会も近いのに、君がこんなくだらない問題を起こして失望したと大変ご立腹されていたよ。そろそろ君を経営企画部に移そうと思っていたんだけど、それは難しくなってしまったな」

「そんな・・・なんとか話をおさめますので、専務には上手く言っておいて頂けませんか?」

経営企画部の部長はウチの会社で執行役員になるルートの一つだ。以前から杉浦には「そろそろ君も経企を経験してみないとな」と言われていた。

「上手くっていうのはどういう意味だ。僕に話をごまかせっていうのか?」

ムッとした口調で答える杉浦。彼の目力の強さは社内でも有名だ。刃物のような鋭利な視線でじっと見据えられ、理路整然と責め立てられると萎縮して言葉に詰まってしまう。同じ派閥に所属する直系の上司とはいえ、彼には何度となくやり込められてきた。電話越しにも、その光景が思い出され、体が強張る。

「い、いえ、そんなことはございません。大変失礼しました」

「永岡くんなぁ、今回の件は致命傷だよ。しばらくは耐え忍ぶしかない。この件を上手く解決するのは当たり前だし、他に大きな手柄をあげないと先々難しいぞ」

定例の役員会では毎回、社長派と専務派で暗闘が繰り返される。正面切って言い争いになるようなことはないが、にこやかに会議が進んでいるようでも、テーブルの下ではお互いの足を蹴り合うような見苦しい戦いが行われているのだ。

ウチの会社はオーナー企業だ。創業家である会長に跡継ぎはなく、創業時から在籍している社長、銀行から籍を移した専務の二派閥が大株主である会長からいかにご寵愛を受けるかということに注力している。

新規事業の成功で一時期は勢いづいた専務派だったが、最近はその事業にも陰りが見え、勢力が徐々に小さくなりつつある。そこへきて子飼いである部長職の私が不始末を起こしたとあって、専務の逆鱗に触れたのだろう。銀行出身の専務は誰にでも丁寧な敬語で話し、終始笑顔を崩さないが目は笑っていない。

なんとかこの件をおさめて、別の大きな手柄をあげなければ。部長職以上は一度仕事で躓くと滅多なことでは再び出世街道に戻ることはできない。それどころか追い出すことを前提にした冷酷な人事が下されるのだ。

この件を社長派である田中の失点に変えることはできないか。元はといえば奴が無能だから私にまで火の粉がふりかかったのだ。奴だけがのうのうと会社に残っているなんてことは許されない。

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