【21-1】朝の連続派遣小説『へばりつく』

【21】

まだ日中は上着が暑苦しく感じるときも多いが、すっかり秋めいてきたこの時期は街を歩くのに最適の季節だ。発色の良い青色の空に、小ぶりな綿菓子のような雲が隊列を組んで並んでいる。

時間に余裕があるときはできるだけ徒歩で移動するようにしている。午前中のアポイントは虎ノ門、お昼をはさんで午後のアポイントは銀座だ。都内にはJRや私鉄などの線路が網の目のように張り巡らされているが、実際に歩いてみると、駅と駅の距離は驚くほど近いことに気付かされる。

今いる日比谷公園だって、すぐ目の前に内幸町、裏手には霞ヶ関、少し先には日比谷や有楽町、さっきまでいた虎ノ門は歩いて十分だし、午後に行く銀座だって新橋から少し足を伸ばせば着いてしまう。時間に余裕があるときはこうやって都内を散策して、思わぬ駅と駅のつながりを発見しては一人で楽しんでいるのだ。

ベンチに腰掛け、さっきコンビニで買ってきたサンドイッチを頬張る。この時期の日比谷公園は本当に気持ちがいい。お昼前で辺りはまだ人もまばら。ここは公園の中央にある広場の特等席。目の前には色とりどりの花々が咲いた広大な花壇、両サイドには辺りの高層ビルを遮るようにして悠然と立ち並ぶ青々とした常緑樹、目線の一番先には大きな噴水が水煙を上げている。

ここ最近は普段の仕事だけでも十分に忙しいのに、清水敦子の件も加わって踏んだり蹴ったりだった。すっかり荒んでしまった心を癒すため、のんびりお昼を食べるくらいは許されるだろう。

買い込んだ昼食をひとしきり食べ終え、コーヒーに手を伸ばす。まだ暖かいそれで火傷をしないように、注意深く口にコップを運ぶのと同時にスマートフォンが振動した。

ベンチの座面に置いたスマートフォンの画面には見慣れない番号が表示されている。この仕事はいろいろな人から急に電話がかかってくる。電話帳に登録されていない電話だからといって、いちいち躊躇していては仕事にならない。

「はい、田中です」

電話口から聞こえる物音はなく、人気のない部屋の中から電話をかけてきているようだ。

「・・・あの、私、そちらでお世話になっている清水敦子の夫で、清水忠典と申しますが田中さんのお電話でよろしいですか?」

清水敦子の夫?いったいなんの用事で電話をしてきたのか。それになぜ私の電話番号を知っているのか。まさか彼女が自分の都合の良いように私の存在を伝え、浮気相手に物申してやろうと電話をしてきたのだろうか。またもや頭を悩ます存在の登場に暗澹とした気分になりつつ、この局面をどう乗り切ったらよいか頭をフル回転させる。

「清水さんのご主人ですか、お世話になっております。田中です。どういったご用件でのお電話でしょうか?」

まずは相手の出方を探るしかない。私を妻の浮気相手だと思って抗議のために直接電話をしてきているのだとしたら、どんな主張をしてくるか予想がつかない。

「突然のお電話で申し訳ありません。お電話するか迷ったんですが、少しお話大丈夫ですか?」

「ええ、かまいません」

「ありがとうございます。その、うちの妻なんですが様子がおかしくて。最近帰ってくるのも遅いし、家事も疎かになってまして・・・それで悪いなと思いつつ、妻が風呂に入っている間にスマホを見たんです。そうしたらあなたへのメールとか電話が履歴にずらっと並んでいて。そのメールを少し見たんですが、なんというか・・・」

噛み締めるように淡々と話す彼に恐怖を覚えた。世の中には冷静に見えながら、実はふつふつと憎しみの火を燃やし続け、いきなり沸点に達したように怒り狂う人がいる。彼が淡々と話しているのは妻の不貞のことであり、私はそのお相手ということだ。普通であれば冷静でいられるわけがない。電話越しに何をされるわけでもないが、恐怖で徐々に心拍数が上がり無言になってしまう。

「あ、誤解しないでください。妻とあなたの関係を疑っているわけではなくて。実際あなたからの着信やメールはありませんでしたし」

意外なことを言い出した。それではなんのために電話をしてきたというのか。彼は私の返事を待たず、これまでの淡々とした口調と打って変わって矢継ぎ早に話し始める。

「実は前の職場でも同じようなことがあったんです。家にいるときも上の空で様子がおかしいので〈何があったんだ?〉と聞いたら〈好きな人ができたから別れて欲しい〉って言われまして。私は妻との生活に満足していたので別れることはできないって突っぱねたんです。しばらく膠着状態になっていたんですけど、たまたま妻のスマホを覗き見るタイミングがあって今日みたいに発信履歴からその男に電話したんですよ。相手は妻の浮気相手ですから強い調子で責め立てたら、最初はおどおどしていた男が〈私はあなたの奥さんと浮気なんてしていない〉〈あなたの奥さんからストーカー行為をされていて困っている〉なんて言うんですよ」

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