【26】朝の連続派遣小説『へばりつく』

【26】

「くそっ、どこにあるんだ」

妻の洋服ダンスや化粧台、押し入れの中の収納ボックス、家中ありとあらゆる場所を探したが見つからない。敦子が池袋で働いていることは聞いていた。とはいえ池袋という地名だけで職場を探し当てるのは至難の技だ。

部屋中探せば社員証だとか、雇用契約書だとか、職場を特定できるものが出て来るかもしれない。二日酔いで痛む頭を抱えつつ、空き巣が物色したあとのような室内を見回した。

敦子がいなくなって三日間がたった。夫婦で財布は別々にしているから、彼女の収入はそのまま自分で使うことができるわけで、ホテルを転々としてるのかもしれない。

さっき押し入れを見たら旅行用のキャリーケースがなくなっていた。二、三日用だからたいした荷物は入らないし、洋服ダンスを見ても大半の衣類は残っていたから、出て行ったというよりは家出ということだろう。

昨日は敦子が所属しているという派遣会社に乗り込んだが、収穫はなかった。人の上前をはねて喰ってるくせに気取りやがって、鼻持ちならない連中だ。

ムシャクシャした気分を紛らわすためにキッチンに向かいウイスキーのボトルを手に取る。ウイスキー八割に炭酸水が二割。ハイボールにしてはずいぶん濃いめだが、これくらいしないとウイスキー独特の胃が焼きつくような感覚と、喉を通る炭酸の刺激を同時に味わうことができない。徐々に酔いが二日酔いの頭痛を紛らわしていく。これで本調子というものだ。

失って初めて気がつくとはよくいうが、敦子がいなくなって感じたのは強い喪失感と苛立ちだった。浮気の痕跡を見つけて逆上し、初めて妻に手をあげたあの日から、彼女に暴力を振るうことは日常になった。これまで女に暴力を振るったことはなかったが、一度糸が切れてしまうと案外抵抗がなくなるものだ。

加藤という前の職場の社員には、敦子が一方的に付きまとっていたようだ。これまで文句一つ言わなかった妻が、経営に失敗し、金と権力を失ったのを見計らったように俺を裏切ったことが許せなかった。職場に押しかけ、妻への不貞をあげつらって小銭でもせしめてやろうかと思ったが、逆にストーカー被害で訴えると返り討ちに遭い、随分冷や汗をかいた。

そのときは殺してしまうのではないと自分でも心配になるほど彼女を痛めつけた。耳元で「なんで俺を裏切ったんだ、言ってみろ」と地響きのような呪いのこもった声で呟いた上で、少しでも言い訳や反論をしたら容赦なく頬を叩いた。何度も何度もそうしているうちに、彼女はギュッと目を瞑ったまま言葉を発しなくなった。

ちょっと力を入れたら折れてしまいそうな華奢な腕を捻り上げ、苦悶の表情を浮かべながら苦痛を耐え忍ぶ姿を見ていると性的な興奮を覚える事を初めて知った。彼女の色白の頬が俺の分厚い平手に叩かれて赤く色をつけていく。細い腕や太腿にうっすらと青黒く、ときには赤黒くアザが模様をつけていく。圧倒的な力で彼女を支配することの喜びを感じた。

そんな事を何度か繰り返していくうちに、彼女は徐々に表情と言葉を失い、まるで人形のように言いなりになった。俺は満足だった。昔、俺がこの女に感じた魅力はこれだったのだ。支配されることに慣れた女。諦めることに慣れた女。バランスの悪い退廃的な魅力が、俺の心を知らず知らずのうちに掴んでいたのだ。

取り戻さなければいけない。アイツはそういう女なのだ。俺がいなければ生きていけないのだ。俺は支配することを求めている。アイツは支配されることを求めている。何かを我慢してでも、誰かに縋り付いていなければ生きていけない女なのだ。

荒々しくリビングの引き出しを開け、中を物色すると封筒の束を見つける。昨日行った派遣会社の封筒だ。きっとこれに違いない。封筒の端が破れるのも気にせず中身を引き摺り出す。なるほど、池袋のあの辺りか。ご丁寧に職場の電話番号まで書いてある。サイオンという電機メーカーのコールセンターに勤めているようだ。

「もしもし、先日そちらの清水さんという方にお電話を対応してもらったものなのですが・・・」

「はい、お電話ありがとうございます。清水でございますね。本日お休みを頂いておりましてお電話を変わることができないのですが、前回のお電話の内容を確認させて頂きますので、お客様のお名前を頂けますでしょうか?」

「いや、私の名前なんてなんでもいいんだよ。その清水さんは清水敦子さんでいいんだよね。この前、フルネームを聞いたんだが」

「・・・お客様。こちらのセンターでは担当制のようなことはしておりませんで、ご用件がございましたら私がお受けさせて頂ければと思います。これまでの履歴を確認するためにお客様のお名前か、弊社でご購入頂きました商品の保証書にある番号をお教え頂けませんか?」

「だから、なんでそんなこと説明しなきゃいけないんだ。清水敦子はいるのか?いないのか?いないならいつ出勤するんだ?」

「お客様、申し訳ありません。オペレーターの個人情報はお伝えできませんので、ご用件を頂けましたら、私が対応をさせて頂きます」

全くイライラさせる。ラチがあかないやりとりに荒々しく電話を切った。こうなったら会えるまで直接職場に行くしかあるまい。なんだかんだ言っても、アイツはきっと俺が来るのを待っているんだ。

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