【28-1】朝の連続派遣小説『へばりつく』

【28】

こんなはずじゃなかった。

彼女をDV夫の暴力から避難させるためという正義感からの行動だったが、本音のところ、自分の寂しさを紛らわすための、酔った勢いでの判断でもあった。

たかだか数日だけれど彼女と生活をしてみると違和感の連続だった。旅行用のキャリーバックに荷物を詰めてきたかと思ったら、中身の大半はなにやらキャラクターのぬいぐるみだったり、晩ご飯だと言って大量に買い込んできたかと思ったら缶詰ばかりだったり。

夫の暴言や暴力によって一時的におかしくなっているのかと思って自分を納得させていたが、なにより不気味さを感じたのはSNSのメッセージの頻度だった。

とりあえず一週間という約束で始まった同居生活、お互い仕事をしているのでスペアキーを渡した。彼女の方が早く帰宅することが多いから、先に食事をとってお風呂にも入っていてもらっていて結構なのだが、「いつ帰れる?」「あと一時間くらいなら待ってるよ」「仕事終わりそう?」「返事ください」「先にご飯食べちゃうよ」と、下手をすると五分毎にメッセージが届く。

どう返事をしていいか分からなくて通知を切っていたら、溜まったメッセージが二十件近くになっていてびっくりしたりした。とにかくずっとスマホをいじっていて「誰かとチャットでもしてるの?」と聞いたら、信頼しているという例の派遣会社の彼にメッセージを送っているという。

その彼とどこまでの関係なのか知らないが、仕事の関係の域を出ないなら、ずいぶん困った派遣社員だろう。「なかなか返事くれないんだよね。電話も出てくれないし」とぼやいている。

DVのことは本当にかわいそうに思う。でも、彼女にもいろいろと問題はありそうだ。彼女がお風呂に入っている間、無音にしたテレビをぼんやりと眺める。閉められたドア越しに彼女がシャワーを浴びている水音が聞こえた。頭の中でここ数日の出来事を振り返っていると、テーブルに置かれた彼女のスマートフォンが激しく振動した。テレビまでの目線の途中に置かれたスマートフォンの画面が否が応でも目に入ってしまう。

画面には「忠典」と表示されている。確か彼女の夫の名前のはずだった。振動を繰り返していたスマートフォンが動きを止め、ピーっというかすかに聞こえる機械音のあとに、低いわりに妙に通る声が受話器から漏れ聞こえてくる。

「敦子、敦子、どこにいるんだ。電話にでろ。絶対に見つけてやるからな。会ったらただじゃおかないぞ。男と一緒にいるのか?おい、聞いて・・・」

再び鳴ったピーっという機械音に彼の声はかき消された。ひどい後悔の念が頭をもたげる。酔った勢いとはいえ、安っぽい正義感から安易に手を差し伸べるようなことではなかった。

あの地響きのような声、あんな声で恫喝されて暴力を振るわれたら私だってなんでもいうことを聞いてしまいそうだ。周りからは男勝りだと思われているが、実際のところ、相手から強く出られるとシュンとしてしまう気の弱い自分を知っていた。もしあの夫がウチに押しかけてきたらどうなるのだろうか。とても敦子を守ってあげる自信はないし、恐怖に泣き崩れてしまうかもしれない。

もっと決意を持ってすることだった。なんの覚悟もないままにすることではなかった。いい歳をした友人の家出の手助けをするなんて、褒められたことではない。彼女に言おう、ちゃんとプロの人に相談をした方がいいって。このままじゃ、ずるずると同居をしているだけだ。

冷蔵庫から缶ビールを取り出し、覚悟を確かめるように力強く人差し指で蓋を開ける。彼女がお風呂から出てきたら話をしよう。グッグッっと喉を鳴らしながら一気にビールを胃に流し込む。程よい酩酊感とともに少し気が大きくなってくるのを感じた。

「敦子、ちょっといい?」湯上りの濡れた髪に、バスタオルを押し付けるようにして水気を取りながら、彼女はこちらを振り向いた。

「言いづらいんだけど、やっぱりそろそろ自宅に帰ってもらったほうがいいと思うの」

彼女はハッとした顔をしたあと、俯いて目を逸らした。恐れていたものが来たというような表情をしている。

「本当はずっとウチで匿ってあげたいけど、お互い大人だし、そうも行かないかなって。このままだと、ただ友達同士で同居しているだけだし、私は家出の片棒を担いでいるような感じだし。やっぱりちゃんとしたプロの人に相談した方がいいと思うんだ。その上で離婚するなら離婚するってしたほうがいいと思う」

自分なりにだいぶ言葉を選んだつもりだったが、上手く伝わっただろうか。くれぐれも怖くなったから追い出す、というようなニュアンスが出ないようにしなくては。

「そっか、わかった」ミディアムヘアの毛先から拭き取りきれなかった水滴がポタっと床に滴る。「また頼れる人がいなくなっちゃった・・・」彼女は呟くように言った。

「そんなことないよ。見捨てたりしないよ。でも私にできることって、こんなことじゃないと思うんだ。今ウチにいるのは問題を先送りにしてるだけだから」

後ろめたさから声が上ずった。実際、彼女の立場になってみれば、私にそそのかされて家出をすることになったのに、数日一緒に暮らしてみて煩わしくなったから追い出される、としか受け止められないだろう。いい歳をして本当に考えのないことをしてしまった。親の助けも期待できず、家にいても常に夫の暴力に怯える彼女からすれば、私からの救いの手は本当にありがたいものだっただろう。それなのに私は簡単にそれを裏切った。今までの人生でも、こんな風に後から後悔することばかりだ。

「ごめんなさい。私がちゃんとした覚悟も考えもなく家出を勧めるようなことをしちゃったから、話がもっとややこしくなっちゃったかもしれないよね・・・本当にごめん」

自分が情けなくて、彼女に申し訳なくて、涙が溢れ出てくる。ポタポタと床に涙が流れるままに任せていると、彼女が動く気配を感じた。散らばった荷物をキャリーケースにしまい、身支度を整えている。

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